今回の京都探索シリーズは 最終回です。 今晩は ”KS-星の”でやんす。
日帰り京都の旅もとうとう最終工程に辿り着きました。
JR京都 伊勢丹7Fにある ”美術館「えき」KYOTO”で
アール・ヌーヴォーのポスター芸術展(LIFE art nouveau)を観て来ました。
~クリムト・ミュシャ・ロートレックなど~
チェコ国立プラハ工芸美術館・
チェコ国立モラヴァイア・ギャラリーの
所蔵コレクションから 約130点余が
展示 されていました。
19世紀末から20世紀初頭の ヨーロッパの街角
を彩ったポスター群から、当時の文化を垣間見る
事ができます。
クリムト 分離派第一回展覧会(検閲前)
*検閲前と検閲後があって見比べ出来ました。
*クリムトが中心となって起こした
「分離派--SECESSION」の展覧会用ポスター多数
*ミュシャの
女優サラ・ベルナールの演劇用ポスター(ジスモンダetc)
JOBの宣伝ポスター他多数
*ロートレックが描く 当時のカフェやキャバレーのポスター
(ムーラン・ルージュのラ・グーリュー・・・etc)
いわゆる Belle Epoqueのポスター黄金時代
の作品が 目白押しの展覧会でした。
ミュシャ”JOB ” ロートレック ”ムーランルージュのラ・グリュー”
そんな中 見つけてしまいました Hoshinoが敬愛する画家 ”エゴン・シーレ”のポスター
「分離派第49回展覧会ポスター」-正面がシーレ 手前の空席はこの年亡くなったクリムトの為の席
この年シーレもスペイン風邪のため28年の生涯を閉じました。
シーレの写真--1914当時に このファッション&ポーズ イカシテます。
Hoshino”エゴン・シーレ”追っかけ暦はもう30年ぐらいになるかな~。
常に”生”に寄り添う”死”の姿と向き合い、愛と性を通してむき出しの自己探求
時には優雅に、又時には醜い姿を内面から搾り出す様に描いた自画像の数々
ヴァリー(モデルにして愛人)とエディット(妻)との歪んだ恋愛感--そして ”最期”
卓越した描写力を持った独特の画風の天才画家。 自称「永遠の子供」
ウィーンアカデミー美術学校の同期受験者には あのアドルフ・ヒトラーが・・・
シーレは合格、ヒトラーは不合格--その後独裁者に・・・そして”世界大戦”を引き起こす。
シーレについては、又語らせて下さい。(たった28年の人生ですけど濃いですよ。)
もう何年も前から Hoshinoの携帯TEL待受けはこれです。
シーレ作”左足を高く上げて座る女” これは、妻 エディットとされてます。
挑発的な眼差しと独特なポーズ。 携帯TEL開く度 眼が合ってしまいます。
エディットは、シーレの子供を身ごもったまま スペイン風邪で亡くなります。
シーレも、その三日後に同じ病気でこの世を去っていきました。
ここでは、展覧会画集とシーレの雑誌とポストカードを買いました。
「伊勢丹の紙袋ですよ~。」 これに入れてくれました。
もう、4月ですね。長女”say”も社会人の第一歩を歩みだしました。
入社式の模様は 一部の新聞にも載ってましたね。
親父も心機一転 仕事に精を出し、まだまだがんばっていきますよ!
明日はお休み頂きますけどね。
Hoshino
コメント
コメント一覧 (2)
hoshinofumi
がしました
「左脚を高く上げて座る女」は、1917年作です。
二人が亡くなる 一年程前、ロシア革命の年と言うことになります。
hoshinofumi
がしました